1995年5月、ジミー・レイニーというひとりの男がこの世を去った。
1927年に生まれてから亡くなるまでの68年の生涯において、
彼はジャズ・ギタリストとして数え切れない程の演奏をした。
そのほとんどは、幸運な聴衆たちと一瞬をともにしたきり、今では世界から消えてしまった。
それでも、その一部は作品として残されている。
我々は今は亡き演奏者の奏でる音楽に耳を澄ますことができる。
彼の息吹を、思いを、そこに感じ取ることができる。
音楽が与える彼の印象は、どこか物静かで繊細だ。
決して声高に主張することはない一方で、独自の美学を貫く姿勢はあくまで頑なでもある。
彼はどのような人だったのだろう?
そのような疑問が、この文章の始まりだった。
驚いたことに、実際に彼は物静かで繊細な男だった。
科学雑誌を愛読し、ジャズよりはモーツァルトを聴いた。
喧騒を嫌い、生まれ故郷のルイビルで長い歳月を過ごした。
メニエール病という難病を患い、アルコール依存症にも苦しんだ。
そして、猫に気を許した。
以下、ジミー・レイニーというジャズ・ギタリストについて、
彼の息子ジョン(ダグではない)が公開しているWebサイト”The Raney Legacy”を参考にしながら、興味深い事柄を中心にまとめていく。
ただし、これはあくまでも彼に対する個人的な興味が書かせた文章だ。
そのため、一般に広く知られた事実であっても、触れられておらず拍子抜けすることもあろうかと思う。はじめにお断りしておく。
誕生〜ギター・スタイルの確立
ジミー・レイニーは1927年8月20日、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルに生まれた。
本名は、ジェームズ・エルバート・レイニー。
父親はスポーツ・ライターとして働いており、アマチュアのゴルファーでもあった。
母親はウクレレ(ギターという説もあり)を演奏する人だったという。
ジミーが初めてギターを手に取ったのは10歳だった。
彼は最初、クラシックギターの教師に師事した。
その後、ヘイデン・コージーという教師のもとでジャズへの興味を育んでいった。
決定的だったのは、チャーリー・クリスチャンの”Solo Flight”との出会いだった。
チャーリーはジミーのギター・ヒーローとなり、彼に強烈な影響を与えたという。
彼が演奏を始めたころのジャズ・シーンはスウィング期の名残色濃く、
まだまだバップは未知のものだった。
なかでもギターは、ジャズにおいてはあくまでもマイナーな存在として、
情報源、先人の演奏など十分に見当たらない状況にあった。
そのような状況のなか、ジミーにとってチャック・ウェインや
バーニー・ケッセルというギタリストは重要な存在だった。
ほんの少し年上にあたる彼らが、ギターを通じてどのように
“Swing to Bop”を行っているかは、ジミーも注視していた。
自身のスタイルを確立させるにあたり、ジミーがコピーしてきたミュージシャンは、
チャーリー・パーカー、バド・パウエル、ディジー・ガレスピー、マイルス・デイビスなど
多岐にわたる。
様々な楽器の特性などを理解し、それをギターに置き換え、翻訳していく過程で、
彼は唯一無二の彼のスタイルを育んでいった。
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